当たり前。常識。
日常の中で目にするもの耳にするものや経験するもの。
生まれてから今まで知識として知っては学んでは蓄えて、今では当たり前として受け入れているもの。
それらがふと、あいまいになる時ってありませんか。
これって本当に「正しい」「絶対」といいきれるのか。
例えば、一日三食を食べるのが基本。
これって今では世界中ほとんどの国や地域でも当たり前だったりするけれど。
何をもってして当たり前なのか。
みんなと同じように勉強してちゃんとした会社に入るように頑張る。
大人になるまで無意識にそれが当たり前だと信じて過ごしている。
これらに限らず絶対なんて言いきれないんじゃないか、そんな不安に陥る時があります。
「出来て当たり前」「そうなって当然」
その輪から外れた時に初めて常識ってなんだ・・・?って考えるようになることがあります。
僕の場合は、就職活動の失敗がそのきっかけでした。
みんなが当然のようにどこかしらから内定をもらっていく。自分もここまで努力してきたからには希望した業界とはいかずとも、どこかしらには引っかかるものだと思っていました。
ふたを開けてみれば卒業1か月前になっても内定はゼロで。
なんとかぎりぎりで定員割れしている企業に入ることができたわけでした。
そこはすぐ退社してしまいましたがその話はまたの機会に。
ほかにもアルバイトをしていても、どんくさい自分はみんなよりも一歩遅れてしまう。
「出来て当たり前」のはずのことが自分はできない。
当たり前って何だろう。
しかし、大きなことを考えすぎても漠然としてなにも解決するわけでもなく。
ぼくは自分がそういうものなんだろうとわりきることにしました。
当たり前という概念にしても、些細なことに目を向けてみるとまた違って感じられます。
相手が笑ってるとこっちも楽しくなってくるのはなんでだろう?
お昼寝から目が覚めると気分が悪くなるのはなんでだろう?
「そういうものだ」として特に考えず過ごしてきたものに目を向けると、意外な発見があったりします。
当たり前を疑おう。
常識から外れて寄り道してみよう。
そうならないといけない、そうなるはずだと自分を追い込むよりもそうならないといけない理由に目を向けてみる。
そうすると自分なりにのスタートを見つけることができるかもしれません。