お皿が割れたから、気が付いたこと
皿洗いをしている時でした。いつも通りの食後のルーティンの中些細な違和感をおぼえた僕は手に持っているお皿を見つめてみました。
そこにはうっすらとですがしっかりと長いヒビが。
なぞってみると結構深そうなヒビで今まで気が付かなかったんだなあと思いつつも何も考えず軽くお皿に力を入れてみると
パッカーン
見事に真っ二つ。
あんまりにもあっさりと割れたので驚くひまもなくキレイに割れたと感心すらしてしまうほどでした。
お皿とか食器が割れると演技悪いってよく聞きますよね。
それでも僕は悲しい気持ちというよりは「よく頑張ってくれたなあ」というねぎらいの気持ちと「新しいの買いに行かなきゃ」という気持ちが湧いたわけで。
日常生活において食器を買いに行くとかいう考えは、新生活のときとか今とか「変わりがないから揃えないといけない」という限られたタイミングでしかないわけです。
当たり前にあるものだからこそ、日常生活でそれ以上に気を遣うことがなく違うお皿を見てみるという選択肢する浮かばないことに気づいたんです。
そう考えると、ぼくにとってこのハプニングのおかげで新しい食器たちを買いに行くチャンスが生まれたというわけですね。決してなくても困るわけではないけれどふとこうした出来事によって「食器」というものにフォーカスを当てることになったわけです。
平皿だったということもあり、同じようなサイズのお皿は複数あっても困らないだろうと考えた僕はまだ見ぬおしゃれな食器たちを求めニトリに向かうのでした。
ハプニングは往々にしてチャンス
このお皿事件で思ったのは、ハプニングは何かしらの行動を起こすチャンスにつながっていくってことなんですよね。
何の前触れもなく起こったり、積み重なってきたものがあることをきっかけに爆発したりなどハプニングが起こるタイミングというものは予測不可能なことが多いです。
全然知覚していないところから襲ってくるからこそ、普段気が付かないことに目を向けるきっかけになるんですよね。
気を付けているつもりでもそういう時に限って見落としている。だからこそ、完全に死角からの攻撃にように感じてしまうんです。
「お皿が割れそうだ」なんてずっと考えながら過ごしているわけでもないですし。
そんな想像つかないことに直面した時、やっぱり自分の中でいろんなことを考えるんですよね。どう対処すべきか、とか。この場合は新しい奴を買わないととか。
そして自分の今までの経験から新しい答えを導いていかなければならない。
そのために行動しよう思うことこそが大事なんだと僕は思うんです。
日々過ごしていく中で、神様が気まぐれに起こす奇跡 とまでは言いませんが
ランダムで起こりうる突発的な選択。
それこそが日常を豊かにするチャンスなんじゃないかとも思えるんです。
事実、このことがきっかけで僕は新しい食器を買うきっかけを得られたのですから。
ハプニングに前向きになろう。それが何かしらにつながると信じて行動にうつしていきたいなってそう思えてきませんか?